<泡沫>
越境:fkmt:平山×カイジ
☆注意☆
平山とカイジは平山のアパートで一緒に暮らしています。
時間軸は平山は浦部戦の後、カイジは黙示録の以降ぐらいの設定です。
色々捏造しておりますが、大丈夫な方は、どうぞ本文へとお進み下さい。
「お帰り、平山さん」
ドアを開けると、暖かい空気と愛しい声が平山を出迎える。
外階段から鼻先に届いていた味噌汁の食欲をそそる香りが平山の身体を包み込んだ
ただいまと微笑む平山の下へ小走りに駆け寄ったカイジは自然な動作で平山の持つ鞄を受け取る。
「お疲れ様。もうすぐご飯が炊けるよ」
炊飯ジャーは忙しなく運転ランプを光らせ、炊き上がりの近さを教えている。
カイジは平山が靴を脱ぐ邪魔にならぬよう、広くはない玄関から居間へと鞄を運びながら屈託なく笑う。
物の少ない室内。
冬には屋内でも防寒着が欠かせないほど不十分な暖房。
決して楽な暮らしではないが、カイジと二人で暮らすこの部屋は、なんとぬくもりに満ちていることか。
カイジの後を追って広くもない室内を簡素な卓袱台が設えられた居間へと移動する。
一人の頃、ただ風雨をしのぎ、寝起きするだけの空間だった室内の隅々にカイジの気配が散らばり、まるで穏やかな春の日差しが満ちているよう。
「平山さん?」
まぶしいような、切ないような、胸に込み上げる情動のまま手を伸ばし、背後からカイジを強く抱き締めた。
春の日差しを集めたようなこの幸せは、余りにも透明すぎて、暖かい空気を孕んだシャボン玉に似ていると、平山は赤い硝子に隠す伏せた瞼の下で思う。
淡く儚い色に満ちた美しすぎる季節は、手が触れた途端、音も無く壊れ消えて手の中から零れ落ちてしまうのではないかと、平山は何時も微かに怯えていた。
「……カイジさん………」
さらさらと頬を撫でる滑らかな長髪の感触を頬に感じながら、肩に顔を埋めると平山と同じ石鹸の香りがする。
いつか、この時間を失う未来が訪れると云うならば、
カイジの存在を感じたまま
今このまま時が止まってしまえばいい。
腕の中の愛しい温もりを抱き潰すように掻き抱き、互いの命を貪り、時も命も何もかもを重ね混ぜあい一つにして、互いの鼓動が止まる刹那をたった一つの永遠にしてしまいたいとさえ思う。
愛しくて愛しくて愛し過ぎて。
それでも尚、永遠は遠すぎて。
失くしたくないたった一つの温もりさえ、守りきる力のない己が哀しくて。
ただ、カイジだけが愛しくて。
愛しさゆえに切なくて、刹那さゆえに狂おしく。
狂おしくさえある愛着は、時折平山を狂騒へと追い立てようとする。
「平山…さん……」
カイジの手が、微かに震えていた平山の手に重ねられた。
はにかむような、微笑むような、少しだけ困ったような、控えめな声。
それでいて声が音を失った後も、部屋の空気には暖かな波紋が広がる。
――平山さん
無数の小さな小さな金の鈴を振る様な柔らかな光と振動に、狂奔に駆られかけた平山の精神は、憑き物が落ちたかのように平素の彩を取り戻した。
カイジさん、と呼びかければ、平山さんと柔らかい声が返してくれる。
――嗚呼、この声に……オレは………
救われているのだと、平山は泣きたいような切なさに強く目を瞑った。
襲い来る困難など全て踏破してみせると意気込めるほど世間知らずでも無ければ、自信過剰でもない。自分が名を騙った男に出会い、明らかに生きる次元の違う存在があるとも思い知らされた。
自分は何処にでも居る平凡な男だ。
身過ぎ世過ぎに身に付けた少しばかりの小手先の技こそあれ、まぶしいほどの力と才に満ちたあの男にはなれない。
どれ程祈り、願い、求めても、たった一つ、この腕の中のぬくもり一つ、苛烈すぎる運命から守りきるとは言い切れない。
それでも、カイジは平山の名を呼ぶので。
永遠などいらぬから、ただこの一瞬を共に過ごしたいと微笑むので。
それが愛しくて切なくて、愛しすぎて。
「…カ、イジさんっ……」
カイジが痛みを感じぬよう、瀬戸際の自制を働かせ、縋るように守るように強く腕の中の温もりを抱き締める。
強く、強く。強く強く強く、抱き締める。
長い抱擁の中で、服越しに互いの体温が滲み、重なり、交じり合う。
今、平山とカイジは、この世界でたった一つの同じ温もりを分かち合っている。
永遠など与えてやりようもない。
平山がカイジに与えられるものはこの抱擁だけ。
溢れるほどの想いと、この体温だけ。
「…平山さんはさ……何時も…あったかいね……」
静かな静かな微笑と何処か怯えるような微細な振動を孕んだカイジの声が、平山の鼓膜を震わせ、強く瞑った瞼の奥を熱くする。
互いに何も持たず寄り添う二人は、ただお互いのぬくもりだけを与え合い、分け合い、広く寒すぎる世界の中、二人だけの小さな箱庭で暮らしている。
小さな小さな儚い世界で、懸命に日々を紡いでいる。
それが、どれほどささやかな暮らしであろうが、平山は幸せだった。
巨万の富でも、絶大な権力を以ってしても手に入らぬ温もりが此処に在る。
もうそんなモノは要らない。
ただこの日々が在ればいい。
カイジが自分の傍らに在れば、それだけで全てが満たされる。
いつかの折、この想いをぎこちなくカイジへと伝えた時。頬を薔薇色に染めたカイジは恥かしいと平山の肩に顔を埋め、耳元で自分も同じ。平山が居ればそれだけで幸せなのだと囁いた。
重ねあう愛しい日々。
淡い光と柔らかな音に似た温もりを幾重にも重ね、二人だけの物語を奏で紡いでいく。
この愛しき日々よ。
「カイジさん…ねえ……カイジ…さん……」
繰り返し繰り返し、平山の声がカイジを呼ぶ。
ただカイジだけを呼ぶ。
「…………………ユキ…オ…さん……」
半拍の間を置いて、カイジの声が幾分かの戸惑いと、溢れるほどの思慕を滲ませて平山の名を呼ぶ。
指が平山の手に重なり、重なる体温が言葉以上の想いを伝えてくる。
その指先が決して不快ではない微弱な電気となって平山の全身を振るわせる。
「ねえ…カイジさん…………」
胸に廻した左手の掌に伝わるカイジの鼓動が僅かに早い。
顎の下の柔らかな皮膚を撫でていた右手で誘うと、素直に背後の平山に体重を預け、
頬を仄かな紅に染めたカイジは背後の平山を振り返って微笑む。
「好きって……言っていい?」
暖かな空気を内包し、万華鏡の美しさで色を変えるシャボン玉。
シャボン玉に似たこの幸せは、あまりにも美しく、それゆえに儚すぎる。
ありふれた愛の言葉は強く真っ直ぐ過ぎて、その言葉一つで、淡く儚い泡沫の日々があっけなく壊れてしまいそうで平山は怖くなる。
けれど、それ以外にどう言えばこの想いはカイジに伝わるのは知らない。
世界中の愛の言葉を集めても、幾千幾万の言葉を集めても、夜空に散る無数の星屑と同数の輝きを積み上げたところで、この想いには届かない。
だから、平山は何時も少し怯えながら、使い古された言葉をカイジに贈る。
「オレも…平山さんが好きって……言っていいなら…いいよ?」